盛岡白百合学園とウズベキスタンJISとの交流レポート
JIS 副校長・エグゼクティブアドバイザー/盛岡白百合学園講師 下町壽男
11月20日に盛岡白百合学園の中学1年生とウズベキスタンのJIS(Japan International School)タシケント校の10年生(高校1年生)とのオンライン交流を行いました。
JISは2024年9月にタシケントとサマルカンドに開校した私立学校で、ウズベキスタン初の日本型教育を取り入れたインターナショナルスクールです。私はJISの創設に関わってきた一方で、現在白百合学園で数学の非常勤講師をしていることもあり、今回の実施に至りました。
ちなみに、白百合学園では一昨年からOECDの協力をいただきながら、ウズベキスタンのブハラ州の22番学校と継続的に交流を続けていました。ところが今年から担当のサクラ先生がご退職されたことで、こちらとの交流は終了し、あらためて、JISとの交流を始めたのでした。今回は2回目の交流でした。
事前にJISの担当の先生から、JIS側でやることとして、「自己紹介」「ウズベキスタンの伝統的な服を着てウズベキスタンの紹介」「日本についての質問」「詩を語る」「ウズベク料理の紹介」「桜を歌う」など多くのアクティビティを準備しているとの連絡がありました。
このことを生徒に話し、「みんなはどんなことをしたい?」と声をかけたところ、いろんな意見が出てきました。ハリーポッターの寸劇をやりたいといって昼休み時間中練習している生徒たちもいました。また、歌は「桜」よりもいまの季節の秋っぽい歌がいいんじゃないかと、皆で「たき火」を歌って盛り上がったりしました。これらは時間がなくて実際には行えなかったのですが、タブレットを持って学校内のクリスマスツリーなどを紹介するという案は実行することができました。
私は、生徒たちの和気あいあいとした話し合いを聞きながら2つのことを感じました。
一つは、国際理解というと、英語力やコミュニケーション力にフォーカスされるけれど、それ以前に「話す内容を持っていること」が大切だということです。
二つ目は、このようなウズベキスタンとの交流が行われることがきっかけとなり、生徒たちが、自分のこと、学校のこと、日本のこと、そして相手のことを考えることができたということです。
日本の学生は、学校のカリキュラムが過密で、課題や部活などもあって、とっても忙しいのですが、でも、学校が子どもたちの人格を陶冶し、彼らの成長を促す場であるならば、「自分は何者であるか」「世界の中で日本はどのようになっているか」などの問いに向き合う機会をつくっていくことも学校の重要なミッションであるよなあ、とあらためて感じました。
ウズベキスタンの子どもたちの笑顔から幸せを受け取る
さて、交流では、食べ物に関することや、学校生活について、アニメなどのエンターティメントについてなど、国境を超えて共通する話題を互いに紹介し合いました。彼らとの交流を見ていていつも思うのは、参加している全員が笑顔であるということです。笑顔でそこにいること、これが一番重要なコミュニケーションなのかもしれませんね。
そして、強く伝わってきたのは、JISの皆さんの日本語や日本のことを学びたいという気持ちです。本当に嬉しいことで、見ているこちらが彼らからたくさんの元気や勇気をいただきます。彼らは日本語クラスの先生と生徒たちなのですが、学んだことを、実際に日本人に向かって話すという活動を通して、知識として定着されようとしているのだなあと思いました。なので、ニコニコして彼らの言葉に耳を傾けるだけでも、この交流の意味があるのではないかと思いました。
彼らが日本語を学ぶ根っ子にあるのは、将来日本の大学に進んで、日本で仕事に就きたいという強い思いがあるからなんですね。彼らから、白百合の生徒に、将来の夢は何かという問いかけがありましたが、返答につまってしまう子が多かったようです。日本は、内向き、親方日の丸的な傾向が強いお国柄なので、ウズベキスタンのように早くから他国で働こうというビジョンを持つ生徒は少ないのは確かです。それより今ココを楽しむ、あるいは、直近のテストや出口の大学進学に集中しているということが多いのかもしれません。それは、特に悪いことではないと私は思います。でも同時に、世界に先駆けて少子高齢化が進む日本の子どもたちが「ゆで蛙」にならないようにしなければ、と私は痛感しました。夢を見つける場所としての役割の一端を学校は担っているはずですからね。
さて、これまで白百合学園が行ってきたウズベキスタンとの交流を実施するうえでとてもありがたかったことは、我々の交流を見守ってくださる多くの方々の存在があったことです。
OECDの皆様はじめ、個人的に応援してくださる方々。ちなみに今回は、ブハラ州で担当されていたサクラ先生も参加してくださいました。このような皆様が、ただただ温かい眼差しで見守ってくれていること、これが本当にありがたかったです。
交流後、生徒たちに、海外の人と交流するために必要なことは何だろうと問いかけました。すると生徒たちから次のような言葉が返ってきました。
・大きな声ではっきり話すこと。そして、言葉だけでなく、ジェスチャーなどを用いてコミュニケーションを行うこと。また、歌や踊りや絵などは言葉がなくても気持ちが伝わるので、そのようなコミュニケーションも大切だ。
・積極性を持って、互いに知り合うことが大切。一方的に自分のことだけ話すのではなく、相手の考えに関心を持つこと。
・相手を理解しようとすること。そのためには相手を尊重する気持ちが大切。
・自分の意見をはっきりさせておくことが大切。そのために、日ごろから「なぜ?」という視点をもつ。
・お互いのことを知ろうとする気持ちが大切。そのために自分の国のことを知っておくこと。
今回の交流を通して、生徒たちは多くのことを学んだのではないかと思います。他者への思いやり、自分の良さを知る、自らの意見を持つ、他者の優しさに触れる等々。そして、それらの学びは、学校という枠を越えていくときにこそ生きて働く力になるのだと思います。
学校に通う子どもは、否応なく学校という組織に所属する「生徒」であることを求められます。しかし、にもかかわらず、生徒たちは、そこを離れて独立した「個人」でもあります。そして、個の成長を促すのは、このような他国との交流の場なのではないかと私は思います。
最近は、個別最適な学びという言葉もありますが、学校というコミュニティにおいて、個人はしばしば「孤人」になりがちです。
私は、「個人」を組織の呪縛から解放された存在でありつつ、多くの他者とのネットワークを持つ人と考えてみたい。つまり、特定のコミュニティに依拠するのではなく、様々な他者と関係を持って活動を起こしていくということです。そこで私は、「Co人」という言葉を定義したいと思います。CoとはCollaboration , Cooperation , Co-creation, Communication などの意味を持っています。
もし、世界中の一人ひとりが、「Co-人」として自立し、世界と交流し、知見を分かち合うことができればどんなに素敵なことでしょう。